- HOME >
- 富貴庵
富貴庵
都内在住のアラサー。 迷走に迷走を重ねた末、自己流仏教と兵法に目覚める。 このブログはその修行場にして実験場。 永遠の廚二病にして自称昔ながらのオタク。
2024/9/28
誰かがいった。
「決意には何の意味もない。自分を変えるなら習慣か、場所を変えろ」と。
金言だと思う。実際決意が身を結んだことなどなかった。
個人憲法などそんな「決意」の代表格だろう。
2024/9/24
おととい、俺は個人憲法を策定した。
以下の内容だ。
・1条 俺=人=仏
・2条 この世の全ては兵法
・3条 富貴である
まだ3日すら経っていないが、改正だ。
2024/9/10
司馬遼太郎は好きで以前からよく読んでいる。あの独特のカメラ位置から語られる物語と解説、余談を一度味わったら、他の歴史小説がどうしても味気なくなってしまう。 これからも司馬遼太郎は読んでいくだろう。 しかし、これまで通りにただ漫然と「司馬史観」を楽しむのではだめだ。
2024/9/11
前三回で自分の背景、臨済宗、柳生新陰流とやってきた。今回はその締めくくりとして、いままでやってきた内容を基に個人憲法を発布する。 以後はその憲法の内容を常に念頭に置いて生活する。仕事なり映画を見るなり本を読むなりゲームをするなりすべててだ。絶対すぐ改正される。
2024/9/7
鈴木大拙の著書「禅と日本文化」にて、多くの武士は禅を嗜んでいたと説かれている。
有名どころは武田信玄、上杉謙信など。
謙信はともかく、信玄は芯から帰依していたかどうかはわからない。
当時の宗教は権力集団でもあったので、ちょうど今日の政治家が新興宗教と結びついて固定票を得るのと同様、
互いに世俗的理由から近づくことはままあった。
2024/9/7
死んだものではなく、生きているものが仏<臨済宗> 臨済宗はいわゆる禅宗の一つだ。開祖は中国が唐代の僧、臨済義玄(りんざい ぎげん)。彼の教えを鎌倉時代に日本の僧侶、栄西が母国へ持ち帰った。 日本の禅宗はこの臨済宗と曹洞宗の2つがある。臨済宗が唐人の臨済を開祖にするのに対し、曹洞宗は日本の僧侶道元を開祖とする。ちなみに道元は栄西の後輩にあたり、栄西同
2024/9/7
紆余曲折あって俺流の仏教に帰依し、またそこから編み出した個人憲法を貫くため、兵法を磨くことにした。
このブログを始めたのは、記事を書き綴ることで自分の仏性と兵法を伸ばせると思ったからだ。
この記事はそこに行き着くまでの俺の思想遍歴をまとめた、俺の俺による俺のための記事だ。
かなりスパイシーな内容なので注意。