決意に意味なし
誰かがいった。
「決意には何の意味もない。自分を変えるなら習慣か、場所を変えろ」と。
金言だと思う。実際決意が身を結んだことなどなかった。
個人憲法などそんな「決意」の代表格だろう。
実際個人憲法を決めてもいつもの日常となんら変わりはなかった。
だからさっさと破棄することにする。
あってもなくても意味がないのだから霧散といった方が正しいかもしれない。
要はいかに習慣に落とし込むか
しかし個人憲法を決めたこと自体に全く意味がなかった訳ではなかった。
1条 命=仏
2条 この世の全ては兵法
3条 富貴である
上記三か条から以下習慣が生まれたのだ。
・早起き(からのジム通い)
・玄米食
・禁酒
・このブログ
これらはたまに破戒することはあれど一応いまに至るまで続いていて、
俺になかなかのメリットを与えている。
卵が先か鶏が先かという話だが、信条と習慣はワンセットでなければならないのだろう。
そんなことをぼんやり思って今は曹洞宗について調べている。
臨済宗と並ぶ禅宗の一派である曹洞宗は臨済宗よりも習慣を特に重んじている。
という訳で一旦個人憲法は廃棄。
過去の記事はいつかその部分だけ削って書籍紹介記事になるかもしれん。